娯楽の摂取

エンターテインメントを存分に享受したい!
そういう気分が高まっている。

元来の性分として私は娯楽が大好きだ。
プロが演じる舞台から素人の発表会まで、人間が行う芸事全般が好きだ。
それなのに、大人になると「楽しむ」という行為に後ろめたさを覚えるようになっていた。

人間の集団の中にうまく入れない自分は常に暗い気持ちでいなければならない。
私ごときが楽しむなど、分不相応で言語道断。
心は沈んでいなければならない。
浮かれるなんてあってはならない。
いつのまにか私の中にそういう法律が出来上がっていた。

昨年、小さな事件が起きた。
久々に本を買ったのだ。
会社を辞めて人間の集団から離れたことだし、少し楽しむくらいならばと魔が差した。

勉強や資料としてではなく、純粋に楽しむための読書はいつ以来だろう。
その本は面白かった。
それ以上に面白がれた自分の素直さが嬉しかった。
乾燥して小さく固まっていた好奇心が潤い広がっていくようだ。

1人で静かに本を読むだけなら罪悪感も小さく済む。
ひっそりと、細々と、1年かけて読書を続けた。
そのうちにほんの少しだが、久しく無かった「元気」というものが自分の体に現れ始めた。

今年の1月、映画を見ようと思い立った。
これはかなりの挑戦だ。
人間の声が耳に触るため普段は動画コンテンツは見ない。たまにニュースを見る場合には消音、字幕に設定している。
こんな状態で受け止めきれるか不安だったが、辛くなったら出れば良いのだ。

それはあまりにもハイカロリーな体験だった。
長い間娯楽を絶っていたため、劇場空間そのものに鑑賞前から心が動く。
薄暗い館内、静かにざわめく声、ポップコーンと機械の匂い、ずらりとポスターが貼られた廊下。
全部久しぶりで、全部好きだ。
思い出せた、私はこれが好きだったのだ!

映画はとても面白かった。
帰宅してすぐ、今度は舞台のチケットを取った。
正直なところ経済的にはそんなことをする余裕は無い。
それでもこの衝動には乗った方が良い気がする。
ここを逃したらずっと心が死んだままだ。
やっと芽生えた小さな元気に、栄養を与えてやりたいのだ。

本、舞台、映画、音楽、料理、服。

人間と関わることは苦手で今後もそれは変わらないだろう。
それでも私は人間が作り出したものが好きだ。

そこに矛盾と罪を感じてずっと遠ざけていたけれど、今年はそれを辞めてみよう。

心に残る後ろめたさを無視してでも、自分の元気を育てることが私の今年の目標だ。