オーブンの思い出と今

eyecatch

 

今年に入ってから、パンを買う頻度が減った。
気に入っているベーカリーが改装のために休店したのだ。

それならばと、自分で作るようになった。
月に数回、食パン、バゲット、ベーグルなどの食事パンを焼いている。

いままでの人生の中でも、パンを焼く季節が何度かあった。

一番古い記憶は、「オーブン機能付き電子レンジ」が初めて我が家に来たときのことだ。説明書には『パン(バターロール)』という項目があった。

家でパンが作れるのかと、幼い私は驚愕した。

私と姉と母の三人で期待しながら作ってみたが、出来上がったのはパサパサしている苦い小麦粉の塊だった。

変な味だと笑い合う二人を背にして、私はひそかに感動していた。
美味しくないかもしれないけれど、たしかにパンが焼けたのだ。

台所を自由に使えるほどに成長すると、私は一人でオーブンを使い始めた。
まずは焼き菓子。それからパン。

学生時代は上手く焼ければ無邪気に喜び、友人たちに配っていた。
美味しいものを作りたくてレシピブックを買い漁った。

やがて社会人となり、心が潰される日々が続く。
寝ると明日がきてしまうから眠ることが怖かった。
重い心と体を引きずり深夜にパンやお菓子を焼いた。
暗く静かな家の中で、台所にだけ灯りをつけて。

細心の注意を払って生地を作っても、オーブンに入れてしまえば後はもう出来ることは何もない。

ただひたすらに焼き上がりを待つ無力な時間。

無力な自分が許されているようで、不思議な安堵感があった。
深夜の孤独な焼き時間は、自分を回復するためのとても大切な時間だった。

しかし焼き上がったものには関心が持てなかった。

パンやお菓子はただの処理すべき副産物だ。

いま、贔屓にしているベーカリーの改装は終わった。
有名店ということもあり平日でも長い行列ができている。

そのベーカリーは今でも変わらず大好きだ。
大好きだけれど、改装後はまだ一度も訪れていない。

私の中にまたパンを焼く季節がきた。
今度は自分のためだけでなく、家族のために作っている。

また再び無力な時間を味わいながら、今度は副産物にも愛を注ぐのだ。